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■ あなたは「字が綺麗だね」と褒められたことがありますか!?
 
 
突然ですが、あなたは字が綺麗と他人から褒められたことがありますか?。もし字が綺麗と褒められた経験があるのでしたら、きっと周囲の人から頭がいいと思われているのではないでしょうか?。
 
 
ちなみに私は自分でいうのも何ですが、とにかく字がきたないので、社会に出てから何かと恥ずかしい思いをしてきました。そのたびに「日ペン習字」を習おうと、何度も資料を請求したものです。
 
 
そんな私ですが、本日ダ・ヴィンチニュースさんの記事を読んで、これまでの字に関する悩みから開放されました。何と頭の善し悪しに字の綺麗さは関係ないのだとか、驚くべきことに天才ほど字がきたないのだとか。
 
 
そういえば、確かに歴史にその名を残したその道の天才たちは字が汚い人が多いですよね。アインシュタインなんかはあまりにも字が汚かったため、職場の同僚からしょっちゅう怒られていたらしいですよ。 
 




 
 
実は「字が汚い人」ほど
頭がいいってホント?

 
 
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■ 美文字の秀才と、悪筆の天才
 
 
林先生が説く「東大合格者トップ層は字が汚く、2番手グループは字が綺麗」には、私にもなんとなく実感があります。
 
 
その昔、中学受験塾や美大受験予備校で国語や英語、現代文や小論文を指導していたころ、毎日のように生徒の小テストや作文を採点したり、授業中にノートを見回っていたりした私には一つ発見がありました。
 
 
「勉強の出来る子には2種類いる。粒ぞろいの綺麗な字を書く秀才と、本人にしか(本人にも)読めない謎の象形文字を書く天才の2種類が」。
 
 
 
 
■ 字の綺麗な秀才タイプの特徴とは?
 
 
さらにその後、彼らを見守るうちに分かったことがありました。それは「字の綺麗な秀才タイプは、お手本をまねて紙上の空間のバランスを取りながら字を書くことができる。
 
 
つまり『規範意識が強く、周りの秩序を重んじる』性格傾向があり、かつノートや答案を見る者(自分を含む)への強いプレゼン意識がある」、
 
 
 
 
■ 字の汚い天才タイプの特徴とは?
 
 
そして、「いわゆる悪筆で、もじょもじょと謎の線を書きつける天才タイプは、溢れるアイデアに手や言葉が追いついていかない傾向がある。
 
 
そもそもノート自体が、のちに人が見るための記録ではなく紙上で書きながらリアルタイムに思考するためのツール。つまり勉強は他人のためでなく、あくまでも自分のため。考えること自体が楽しいという脳の持ち主で、その延長上で勉強ができてしまう」。
 
 
 
 
■ 勉強のできるできないに字の綺麗さは関係ない
 
 
そして、確かに字が綺麗なほうが採点者(私)の印象はいいのだけれど、本質的な勉強のできるできないに字の綺麗さは全く関係ない、
 
 
さらに言うなら「こんな考え方もあったのか!」と採点者が驚かされるような冴えた輝きを見せる生徒の字は大抵ヘタクソというのも、発見でした。
 
 
 
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■ 日本の国語教育では「悪筆は恥」と刷り込まれる
 
 
私が小学生の頃(ええ昭和ですが何か)、親や他校の大人が見学にやってくるようなイベントが近づくと、先生たちは生徒に習字や作文を書かせ、せっせと壁に掲示したものです。
 
 
日本の初等教育では、何かを書いたり描いたり作ったりするというのはどうしても「他者と並べられて品評される」ための行為なのですね。
 
 
ですから、何を書き描いているかという中身よりも、見た目が綺麗で大人の目を引き感心させられるかどうかが、まず子どもたちの関心や動機になりがちだったように思います。特に女子。
 
 
特に国語教育では、過去も現在も漢字の書き取りにおいて字のバランスや”トメ・ハネ・ハライ”の細部の徹底に膨大な時間と労力を割いています。
 
 
「書く」に「道」がついて書道なる伝統アートが存在するように、「字は精神を表す≒美文字は美意識と教養の高さ≒悪筆は恥じるべきこと」という感覚が、きわめて根深く刷り込まれているのが、日本の国語教育なわけです。
 
 
「字が綺麗で、机の周りもロッカーも綺麗で、給食も綺麗に食べられて、挨拶がきちんとできる子は先生のお気に入りの”いい子”」、いまだにそんな感じですよね。
 
 
 
 
■ 「字が綺麗?だから何?」だった米国
 
 
大学生のとき、米国の大学のサマースクールでエッセイライティング(小論文講座)の授業を受けていました。
 
 
私なりに衝撃を受けたのが、いかにも日本人らしくたおやかで控えめだけど英語能力はイマイチな他の女子学生が、典型的な日本の英語教育で習得した美しいスクリプト(筆記体)でエッセイを提出したとき、
 
 
教授が「うわぁ、こんな繊細な筆跡は初めて見た!」と驚いてみせ、しかし内容が不十分だったのでその場で再提出を通告したのです。「綺麗だけど、内容にもっとエネルギーを使うべき」とばかりに。
 
 
 
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■ 米国の天才たちは各スビードがとにかく早い!
 
 
ボストンの有名なアイビーリーグの大学でしたが、そこに通うアメリカ人たちの筆跡はどれも決して綺麗でないどころか、殴り書きに近いようなノートが散乱していました。
 
 
ただ、書くスピードがとにかく速い。頭に浮かんだ先から書きつけているのがよく分かりました。大きな河を隔てた向こう岸には、もう一つ世界的に有名な理数系の大学があり、その学生たちの寮にも遊びに行きましたが、
 
 
数学や物理を学ぶ彼らの部屋の中には、誰も読めないような数式(らしきもの)がのたくった紙が床じゅうに散らばっていました。天才たちの住処には美しく綴られた筆記体などなく、あるのは「彼らの思考を深めるために使われた文や記号や数式たち」でした。
 
 
だからと言って、字が汚いほうが頭がいいなんてわけではないですよ! 「字の綺麗さ」にそれほど価値観をおかず、エネルギーも注がないということです。
 
 
 
 
■ 今後日本人が取り組むべきこととは!?
 
 
日本のように、できないからといって「恥ずかしい」とか「頭が悪い」なんて烙印を押すようなことではないので、日本の初等教育で字の綺麗さにやたらとつぎ込むエネルギーは、
 
もう少し他のこと――例えばもっと視野を広げること、知識を深めること、クリエイティブであることやユニークであることや逸脱を許すこと――に振り向けると、もう少し日本人全体が生きやすくなるかもしれませんね。
 
 
 
 
【出典】 ダ・ヴィンチニュースさん:(文・河崎 環)
 
【画像】 Pinterest
 
 
 

 
 
【動画】書道家「幸」
 
美文字レッスン手紙編「お元気ですか」
 
 
 
 
 
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